2024年8月31日 當山日出夫
『虎に翼』「女房に惚れてお家繁盛?」
この週もいろいろと疑問に感じることだらけである。まあ、別にドラマなのだから、設定に疑問があってもかまわないが、見終わった後に、ああ人間とはこういうものなのだなあ、と感じるところがあればいい。しかし、このドラマには、それを感じるところが全くない。ただひたすらつまらない。女性の人権とか、性的マイノリティのこととか、さらには、原爆裁判のこととか、きわめて重要なことを描いているのに、こんなつまらないドラマを作ってどうするつもりなのだろうと思う。
気になったことを思いつくままに書いてみる。
弟の直明の教え子の中学生が裁判所に見学にやってきた。裁判所は、中学生が社会見学に気軽に行けるようなところだったのか、という気もするが、それはいいとする。
気になったのは、登場していた中学生たちについて、戦争のことを知らない、まわりの大人も戦争について話さない、ものごころついたころには日本国憲法があった、と説明していたことである。
時代は、昭和三一年だったと思うが、戦後、一〇年ほどのころである。この当時の中学生なら、戦中の生まれであり、ものごころついたころは、まさに戦後の焼け野原が残っていた時期になる。確かに、大人たちが戦争について語りたがらなかったというが、一部には、その記憶を封印したい人たちもいたとは思う(例えば星航一が自分の過去を語らなかったように)。しかし、世の中の趨勢として、戦争の記憶が生活の随所になまなましく残っていた時代のはずである。時代の風潮としては、あの戦争は間違いだった、国民はだまされていた、という東京裁判史観(といっていいだろうか)の時代であったと、私は思っている。
戦争の時代の記憶があった時代に育った若者たちが、その後の六〇年安保闘争をになったことになる。これは、まさに、戦争というものがリアルであった時代の感覚である。
この時代の中学生を、戦争を知らない、と設定するのは、どう考えても無理がある。つまり、戦後の時代のあり方についての、決定的な認識不足であるとしかいいようがない。
ちなみに、「戦争を知らない子供たち」という歌をジローズが歌ったのは、かなり後の一九七二年(昭和四七年)のことになる。
その中学生が、女は働かなくていいのにどうして働こうとするのか、と言っていたのは、どうだろうか。働かなくていい女としては、いわゆる専業主婦のことを指して言ったものだろう。だが、専業主婦が、三食昼寝付きなどと言われるようになったのは、もっと後の時代のことである。高度経済成長を経て、都市部のサラリーマン家庭が、標準的な家庭のあり方として、意識されるようになってからのことである。その時代であっても、農業とか都市部の個人商店とか、男女が共同で働く場面は多くあった。まして、ドラマの昭和三一年のころは、それより以前である。
また、主婦の家事労働が楽になったというのは、電気洗濯機や電気冷蔵庫などの普及の後のことである。ドラマのなかでは、登戸の猪爪の家に電気洗濯機があったが、これは、きわめて希な初期の事例ということになる。そして、電気洗濯機が買えるほど、寅子の収入が潤沢であったということにもなる。この経済的優位については、ドラマでは触れることがない。だが、社会のなかでどのような階層で生活していたのかということは、登場人物の社会的な意識に大きな影響を与えることなので、ないがしろにしていいことではない。
小橋が少年に語ったことは、内容としては首肯できることなのだが、なぜ小橋がそのような発言をその場でするようになったのか、ドラマのなかでの必然性がまったく描かれていない。たまたま、寅子と同じ裁判所にいて、視聴者にも馴染みのある男性だから、ということで使われたとしか思えない。小橋という人物の造形が手抜きなのである。
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