2024年9月2日 當山日出夫
『光る君へ』「式部誕生」
この回は面白かった。
実際に十二単(女房装束)を着た女性たちが、どのように立ち居振る舞いが出来るのか、想像をめぐらすことになる。実際には、テレビに映っていたように、きびきびと立ったり座ったりして仕事ができたとは、私は思えないのであるが、しかし、まあ、あんなふうだったのかなあ、といろいろ考えながら見ていた。
まひろが藤式部という名をもらって女房になる。彰子に仕えることになる。これからは、女房の視点からのドラマということになるかと思う。平安朝の仮名文学について、女房文学というような言い方をする(今ではもうしないかな)。女房の仕事がどんなものであったのか、その宮中、後宮での暮らしはどんなふうであったのか、考えてみることになる。これまでだと、『源氏物語』などを読むか、「源氏物語絵巻」などの絵画資料から、想像するだけだった。
女房として局を与えられるのだが、まあ、要するにおっきな部屋を几帳などで仕切って、かろうじて個人スペースを確保したぐらいである。調度は豪華であるが、(こう言っては悪いかもしれないが)災害時の避難所のようなものと言ったらいいだろうか。ここでは、物語の執筆がはかどらないというのは、そうかなと思う。
でも、あんな装束を身につけて歩いていたら、裳とか袴の裾を足でふんづけてころんでしまったりとかあったに違いないと思うのだが、どうだったろうかと考えてみる。
十二単(女房装束)は一人では着られない。少なくとも二人の補助が必要である。たぶん、女房以外に、その身の回りの世話とか雑用をする下女のような女性たちが多くいたはずである。それから、「ひすましわらわ」も。
この時代が、古代から中世となるころ、ということになる。古代の荘園が崩壊して、武士の誕生ということになる。だからこそ、『源氏物語』では、その時代より一昔前の時代設定になっている、と理解できようか。この物語の時代設定のことは、日本文学としては常識的なことがらなのだが、それを政治、経済の動きから描くと、武士の登場する前の時代ということになるのだろう。
武士の時代となり、興福寺も武装して寺社権門として、王権と対立する。このあたりのことは、古代から中世にかけての王権論、権門論、などをふまえた歴史学の議論ということだと、理解している。
ところで、まひろ(藤式部)が着想した、その続きの物語とは、今の『源氏物語』のどの巻になるのだろうか。どうやら、「帚木」ではなく、「若紫」であったらしい。また、最初に書いたのが「桐壺」であったとして、それにまひろはどの程度、加筆推敲したのであろうか。想像をめぐらすと、これはこれで楽しい。「帚木」の巻は、どう考えてみても、ドラマに登場する彰子の読む内容の物語とは思えない。
まひろは男女の仲のことは、想像で書けるということを言っていた。現代の向田邦子は、独身であったが、家族とか夫婦のことは猫を見ていれば分かるという意味のことを言っていた。
最後の紀行に登場していたのは、近年になって発見された「若紫」(青表紙本)であった。ただ、厳密には、これが、『源氏物語』の最古の写本というわけではない。五四帖が残っている諸本のなかでは、最も古いものの一つ、というぐらいのところである。
どうでもいいことだが、定家は、「ていか」と読みたい。このドラマに合わせて「さだいえ」と言っていたが、これには、どうしても違和感を感じてしまう。(実際にどう読まれていたかは分からないのではあるが。)
2024年9月1日記
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