「光る君へコラボスペシャル2 源氏物語」
2024-09-06


2024年9月6日 當山日出夫

歴史探偵 光る君へコラボスペシャル2 源氏物語

この回は、及第点(というのもおこがましいかもしれないが)である。いろいろと興味深いところがあった。

『源氏物語』を書くのにどれほどの紙が必要だったか……まあ、だいたいあんなものなのかな、とは思う。ただ、思うこととしては、下書きから清書、天皇のための献上本の制作となると、もっと多くの紙が必要になったはずである。また、『源氏物語』が、ただ彰子のサロンだけで読まれただけでなく、貴族である人たちの間にひろまっていったとするならば、その写本の紙は、どうやって調達したのかということも気になる。同じ平安時代に成立の『宇津保物語』『栄華物語』なども、『源氏物語』にはおよばないものの、かなりの分量になる。これらの作品の紙はどうしたのだろうか。この時代から少し後のことになるが、『更級日記』の作者(菅原孝標女)は、京の都に上って、夢見ていた『源氏物語』を耽読している。このときには、五四帖そろった本があったとおぼしいのだが、このように流通、流布していた本もまた大量の紙を必要としたはずである。時代は下るが、『今昔物語集』はどんな紙に書かれたのだろうか。さらには、現在普通に使うことになる青表紙本が成立したころ……定家のころ……には、紙の製造と流通はどんなだったのだろうか。

ちなみに、『源氏物語』は、岩波書店の日本古典文学大系(旧版)で五冊。『宇津保物語』は三冊。『栄華物語』は二冊。『今昔物語集集』は五冊、である。

『源氏物語』の成立論については、番組のなかで語っていたあたりのところが、普通に考えることなのだろう。紫上系と玉鬘系を分けるのは妥当なことだと思う。だが、「宇治十帖」別作者説は、通説とはいいがたい。では、紫式部は、どのようにして、『源氏物語』の全体をを構想して執筆していったかとなると、それはかなり謎につつまれた部分が多いと思う。

平仮名の成立については、今の学会の通説の妥当なところかなと思う。概ね平安時代の初期(九世紀ごろ)には、平仮名の書記のシステムができあがっていただろう。それが、公式の文字になる契機として、『古今和歌集』(九〇五)というのが、普通に考えるところである。ただ、この流れのなかで、番組ではたぶん意図的に言及しなかったと思われるのが、草仮名である。草仮名を、万葉仮名(このことばも番組のなかでは使っていなかった)から平仮名が生まれるまでの過渡的なものと見るかどうか、ここのあたりの議論は、微妙な問題があるだろうか。

平仮名文であるから『源氏物語』が書けた、というのは確かにそのとおりであるが、しかし、『源氏物語』の文章は、平安時代のおなじころの仮名文学と並べてみて、やはり群をぬいている。その人間の心理描写の細かさ、情景描写、歌との融合、などどれについても、その達成度は尋常のレベルではない。ここは、創造の神様が紫式部に降りてきた、としかいいようのないところあると感じる。紫式部が極めて論理的な思考のできる人であったことは、『源氏物語』の文章から感じとることができる。『源氏物語』の文章は論理で読める。しかし、『枕草子』の文章は論理で読むという性質のものではない。(これは、学生のころから思っていることであるが。)

平安時代の中期から後期ぐらいの時期には、まだ漢字仮名交じり文は成立していない。時代が下って『今昔物語集』のころになって、漢字と片仮名の散文が書けるようになる。これも、宣命書きという様式にはなる。漢字と平仮名交じりの文章が普通になるのは、さらに時代が下って鎌倉時代以降のことになる。『光る君へ』では、このあたりの時代考証が、たぶん分かってのことと思うが、ごまかしてある。

『源氏物語』がどのような形態、装丁の本として読まれたかは定かではないと思うが、番組に登場していた佐々木孝浩君(慶應の国文で私より数年の後輩になる)が、今の日本では一番の専門家だから、たぶんそうなのだろうと思う。

続きを読む

[テレビ]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット