『光る君へ』「中宮の涙」
2024-09-16


蔵王堂には、かなり以前に行ったことがある。桜のシーズンは、人でいっぱいになるところなのだが、吉野のこのあたりでも、今日では過疎高齢化の地域になってしまっている。今なら、吉野までは電車とケーブルカーで行ける。その先は、少し歩くことになるが。平安時代の昔、京都かから吉野まで行く道中は、いったいどんなだったろうか。ドラマでは、ちょっと誇張しすぎのような気がするけど。

まひろ(藤式部)は、自分の局で、物語を書いているとき、女房装束で正装していた。物語の執筆のときは、もっとラフな恰好であったかなとも思うが、女房として仕えている以上、日常的に正装していなければならないということなのだろうか。こういうときは、髪の毛を耳にかけて邪魔にならないようにしてもいい、と思う。これは、当時としてははしたない恰好であるけれど。

道長が、金峯山寺の護符を彰子に渡すとき、直接渡していたが、どうだのだろうか。このような場合、人を介して渡すのが普通だったかも思うが、どうだろうか。そのような仕事をするのも、女房だろうと思っていたのだが。あるいは、これは、道長と彰子の関係が近いことを示すための演出かとも思うが、どうだろうか。

最近、道長の納めた写経が発見されたときのことは、ニュースで見たと憶えている。

次週、『紫式部日記』のことになって、女房としての名前も紫式部になるかのか。

2024年9月15日記

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