2025年2月9日 當山日出夫
『カーネーション」 「あなたを守りたい」
この週から、娘たち、優子、直子、聡子、がドラマの表舞台に登場することになる。
直子は、賞をとって服飾デザイナーとして認められ、東京のデパートで自分の店を持つことになる。しかし、その発想が奇抜すぎて、お客さんの反応は今一つである。それを見かねた糸子が何とかしようとするが、最終的には、優子が東京に行って直子の店を手伝うことになる。
女性のファッションにはほとんど関心の無い生活を送ってきたのだが、その当時のこととして、最新の流行のデザイン……それが、パリのデザイナーの発案になるものであったとして……それを、そのまま使って洋服を作るということが、どれぐらいあったのか、という気はしている。最新のヨーロッパのファッションは、それはそれとして、それをどう日本の生活の中にアレンジして着こなすか、というあたりが、この時代の日本の服飾デザイナーに求められたことではなかったろうか、という気がしている。
直子のデザインは、確かにいいものにはちがいないが、商品として売るには、お客さんの好みにあわせてどうアレンジするか、ということがポイントになる。ここのところが分かっているのが、優子ということになる。ここは、岸和田の店で、母親の糸子を手伝いながら、たたき込まれたという経緯があってのことである。
ドラマでは、糸子は常に世界で最新のファッションに追いつこうとしている。そうして頑張ってきた糸子であるが、自分の娘の直子のデザインを理解しているかというと、かならずしもそうではない。これは、世代の差というか、時代の流れである。言いかえれば、人間は時代の流れの中で、年をとっていくということである。このことを、このドラマは、正面からきちんと描いている。
朝ドラでは、女性の半生記というようなことが多いのだが、人間が年をとり、時代も変化していくものであるということを、きちんと描いたドラマは、希かもしれない。今、再放送している『カムカムエヴリバディ』は、三代にわたる家族の物語だが、世代ごとのものの考え方の変化、時代の移り変わりを、たどっている。かならずしも、古い考え方だとして、昔の人を否定的に見るということにはなっていない。
『カーネーション』を見ると、糸子は、時代の流れのなかで遅れつつあるのかもしれないが、それでも、常に最新の情報を得ようとしているし、自分のセンスと、娘たちの新しい時代のセンスが、変化してきていることを、実感している。この変化を、特に是非を論ずるのではなく、そういう時代の流れであるという視点で描いている。ある時代、ある世代には、その時代の考え方やセンスがある、ということを肯定的に描いている。
思いおこせば、父親の善作は、家父長制的暴君であったということにもなるが、それを、その時代における一つの人間の生き方として描き、否定するということはしていない。その時代に生まれ、その時代に育った人間は、そのように生きるものなのである、という肯定的な発想が根底にある。
商店街の変化もそうである。安岡の髪結い店は美容室になったし、隣の電器屋はアメリカの雑貨店になった。これも、時代の変化である。
組合長(近藤正臣)が、いい雰囲気である。この時代、昭和三〇年代ぐらいまでは、このような長老というか、地域の大人というべき人がいて、その社会の調整にあたっていたということになる。それが、急速に失われていくことになるのが、その後の日本の社会である。次の世代としては、糸子や北村のような人間であり、さらにその次の世代として、優子や直子の時代ということになる。
時代による社会の変化や、人びとのものの考え方の世代による違い、ということを、対立的にではなく、親和的な視点で見ている。こういうところが、このドラマが、多くの世代の支持を得て名作とされるゆえんであろう。
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