100カメ「“朝ドラ”あんぱん 日本の朝に元気を届ける!舞台裏」
2025-05-31


2025年5月31日 當山日出夫

100カメ “朝ドラ”あんぱん 日本の朝に元気を届ける!舞台裏

これまで「100カメ」では、大河ドラマの撮影現場はとりあげてきたが、朝ドラは初めてである。たしかに、100カメという取材の方法でないと作ることのできないテーマかもしれない。

興味深かったのは、撮影セットがある期間。スタジオの中につくるわけだが、それを使える期間が決まっていること。つまり、それに合わせて脚本を書かなければならない。同時に、脚本に合わせて、セットを維持して、必要が無くなったら、次のセットに変えなければならない。

この期間にかなり余裕を持って先を見通せないと、ドラマの進行に無理が生じることになる。結果として、無理な作り方をする。それを感じたのは、『虎に翼』の後半のあたりがそうだったし、『おむすび』でも終わりの方になると、なんかぎこちない展開になっているところがあって、たぶんセットを用意できるかどうかということに起因しているのだろうなあ、とは思って見ていた。

『虎に翼』は始めの方はきちんと作ってあった。最初の回の、寅子の部屋の本棚にあったのは、『放浪記』『女の一生』だったが、映ったのは一瞬だった。しかし、このような本を読む女学生であるということは、その後の展開に意味を持つはずだったが、残念ながら、かなり無理な方向に脚本が流れてしまっていた。終わりの方の星の家と猪爪の家の部分は、はっきり言って手抜きで作ったとしか感じられなかった。強いていえば、ストーリーの展開を、無理に限られたセットのなかに押し込んでいたと感じられたのである。(よく出来ていると思うドラマは、このセットのやりくりについてぎこちなさを感じない。)

『あんぱん』も、小道具などで、その時代……昭和の初めごろの高知の田舎町……の雰囲気を出そうとしていることは分かるのだが、しかし、今の多くの視聴者が感じるところと、私などが感じるところでは、かなりちがってきているところがあると思う。別に善し悪しの問題ではないが、昭和の戦前を舞台にしても、その時代の記憶がなんとなく残っているころと、希薄になってしまった現代とでは、画面からただよってくるものが自ずとちがってくる、これはいたしかたないことかとも思う。

『あんぱん』を見ていると、作っている側は頑張って作っていることは分かるのだが、それがドラマとして説得力のあるものになっているかどうか、見るものの共感をよぶかどうか、これは微妙なところがあると思っている。

ドラマのこれからで一番重要な部分は、嵩が出征して戦地でどのような体験をするか、という部分であるはずだが、はたしてこれはどう描かれることになるだろうか。

それから、方言指導の場面で、アクセント(番組の中ではイントネーションと言っていたが)について、説明するとき、標準的な日本語のアクセントの中では、このパターンと同じだから、という説明をしていた。これは、今でも、各地にいろんな方言がありアクセントの多様性はあるのだが、標準的な日本語のアクセントは一般に浸透しているということがあってのことになる。特に、俳優という仕事をするならば、まず標準的なアクセントで話せることが必須であるとも言っていいにちがいない。

2025年5月27日記

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