2025年7月27日 當山日出夫
『あんぱん』「あなたの二倍あなたを好き」
このドラマはあいかわらず世の中の評判になっているのだが、私は見ていて、あまり面白いとは思わない。いろいろと理由はあるが、過去の時代に生きた人間を描くドラマとして見た場合、どうしても、その時代の人間という感じがしないのである。これが、明治以前の昔だったら、まあそんなものかなと思って見ることもできるのだろうが、昭和の戦前から戦後のことになると、自分の一つ上の世代のことになり、なんとなく、その時代を生きていた人間についての感覚というのがある。
のぶは、薪鉄子議員のところではたらくことになり上京する。このドラマのこれまでもそうなのだが、高知と東京との間のことが、あまりにも気軽に行き来できるように思える。交通機関の問題もあるが、心理的・文化的・社会的な距離の感覚としては、もっと遠くに感じていただろうと思えてならない。この時代、高知に住んでいる人たちは、東京までの距離をどのように生活のなかで感じていたのだろうか。
東京の有楽町のガード下に、闇市があり、戦災孤児・浮浪児たちがいたということは、そうだろうと思う。このドラマでは、闇市のセットもかなり念入りに作ってあると感じる。いくつか店がならび、いろいろと売っている。闇市のエキストラの人数も多い。だが、それだけなのである。このドラマを見ていて、この時代の雰囲気というものを、画面から感じないのである。
戦争が終わって、解放された気持ちがある一方で、これから先どうなるか分からないという絶望感もあったかもしれない、活気と混乱のある、その混濁した猥雑な社会の雰囲気が、まったく感じられない。テレビの画面にはたくさんのものや人が映っているのだけれども、空気の雰囲気が希薄なのである。(非常に印象的な言い方しかできないのだけれど。おそらく、このあたりの感じ方は、見る人によって異なってくるところだろうとは思うのだが。)
見ていていくつか気になるところがある。
のぶは、嵩のことを、いつでも「たかし」と言っている。八木の前でも、「たかし」である。これは、おかしいと思う。嵩の軍隊時代の上官だった八木の前では、「やないさん」と言うべきだと思う。私は見ていて、こういう人物の呼称については、非常に気になる。対人関係のなかでの人の呼称というのは、やはり大事な部分だと思う。(まあ、ドラマのなかで一貫性を持たせたいということなのだろうとは思うけれど。)
高知で地震が起こる。戦後にあった、昭和南海地震である。
地震のあった翌日の東京の新聞に大きく記事が出ていた。だが、ドラマの後のこととしては、東京と高知の間は、電話が不通で通信手段がなかった、ということである。では、新聞社は、どうやって高知の被害の状況などの情報を入手して、新聞の一面の大きな記事にしたのだろうか。電話が通じないとしても、無線(この時代であれば、モールス信号だろう)は可能だったかもしれないが、それで、新聞に十分な情報が得られたのだろうか。そもそも、現地の高知でも、被害の状況把握も出来ていないようなときにである。高知新報でも、被害の把握もできていないし、嵩が無事かどうかも分かっていなかった(これは、嵩の問題ではあったのだが。)
数日たって、やっと高知の高知新報と東京の薪鉄子のオフィスとが、電話がつながった。このとき、電話にはのぶが出て、朝田の家の家族のことと、嵩の安否を、話していた。これは、おかしい。やっとつながった電話ならば、まず、話しをすべきは、高知の今の被害の状況と、東京の薪議員として何をなすべきか、という話しであるはずである。でなければ、高知新報の会社と東京の薪鉄子のオフィスが、電話が可能になったことの意味がない。(ここも、のぶと嵩の気持ちの行き違いを電話の会話で表現しようということなのだろうとは思うが、しかし、状況を考えるとあまりにも不自然である。)
セコメントをする