映像の世紀バタフライエフェクト「移動するアメリカ 夢と絶望の地図」
2025-08-20


2025年8月20日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 移動するアメリカ 夢と絶望の地図

番組のなかで語っていることは、それぞれはそのとおりのことなのだろうと思うが、全体として見て、ものの見方がステレオタイプというか、これまでのワンパターンを踏襲しているという印象がある。基本を、アメリカの白人と黒人の対立と融和の歴史として、それにアメリカ内部での貧困労働者層(これは人種をとわない)と、新しい土地を求めての移動の歴史、それとアメリカ国内での産業構造の地域的変化、ということでまとめた、白人と黒人の歴史だけでは十分でないとされるのを避けるために、なかに日系人のこともちょっと入れてみた……ざっとこんな感じだろうか。そして、最後は、いかにもアメリカらしさを象徴することとして、多様性の尊重の価値というところでしめくくっている。

描いているのがアメリカ国内、アラスカとハワイを除く、という地域に限定してあった。これも、視野をアメリカの国外にひろげるならば、さらに違った問題が見えてくるだろう。

そもそも、なぜ、多くの移民がアメリカを目指してやってくるのか、その出身の国はどんな状態であるのか(政治的、経済的に)、ここのところまで視野に入れると、また違ったアメリカの姿になるだろう。少なくとも、なぜ、日本から多くの人びとがアメリカに移住していったのか、その日本における背景の説明がまったくないというのも、おかしな話しである。日系人を出すのなら、同じアジアの国々の人びと、中国であり、韓国であり、(アメリカが殖民地にしていた)フィリピンであり、これらの国からの人びとのことについても、触れておくべきだろうと思う。

番組のなかで一言もでてこなったのが、ユダヤ人、ということばであった。相対的に数が少ないからということであるのかもしれないが、多様性の尊重ということを結論として言いたいのなら、避けてとおるべきではない。(まあ、アメリカにおけるユダヤ人の歴史とか、反ユダヤ主義の歴史とか、言いだすとかなりややこしくなるだろうとは思うけれど。)

アメリカが多様性を尊重する方向でいられるのは(今のところといってもいいかもしれないが)、それは、国民国家の枠組みとしての「アメリカ」という理念でかっちりと囲い込むことが可能だからだと思っている。(厳密には、何をもってして「アメリカ」というのかということは、立場によっていくぶんのあいまいさがあるはずである。いや、いくぶんのあいまいさがあるからこそ、共有の理念として機能する。立場がちがっても、自分に都合のいい「アメリカ」ということができる。これは、「日本人」といった場合にも、同じようなことがいえる。)

「アメリカ」という理念があって、その内部における市民の秩序ということが、暗黙の前提としてあるから、多くの民族や宗教が集まっても、カオスにならずにすんでいる。番組を見ていれば分かることだが、最後のところで、いろんな人びとが集まっていても、使用している言語は英語だった。言語は文化の基本である。これが、英語というベースが無くなってしまっても、同じようになかよくできるだろうか。アラビア語を忘れてイスラムの信仰が保てるだろうか(インドネシアのような国はあるが)。逆に、壮大な思考実験として考えてみてもいいかと思うが、英語をすててアラビア語の国になったとしても、「アメリカ」は維持できると考えることが可能だろうか。

多民族の共存をかかげた共産圏の国々が、なぜ失敗に終わったのか。これも考えるべきだろう。ソ連はもちろん、旧ユーゴスラビアなど、かつて、(日本の主に左翼から)礼讃されていたものであった。


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