歴史探偵「シン・大奥」
2025-08-30


2025年8月30日 當山日出夫

歴史探偵 シン・大奥

これは面白かった。

これまで、江戸時代のことを語るとき、大奥という存在は、なんとなくミステリアスな雰囲気であり、深くかかわることを、表向きには避けてきたようなところがある。それが、近年になってからの、いろんな史料の発見もあって、歴史学の視点から語ることができるようになったといっていいだろうか。

大奥の再現CGは面白いが、史料・資料がきちんとのこっていれば、今の技術としては、そう難しいものではないはずである。問題は、それを見て、どう解釈するかということになり、ここには、かなりの想像力の働くところである。

興味深いのは、将軍が正室や側室などと寝る部屋。その広さからして、二人以外に人のいる余裕はないので、どんな話しをしているのか聞かれているということはなかった、ということ。といって、将軍のピロートークで、実際の政治がどう動いたかということは、また別のことになるだろうけれど。

高岳の文書(書簡)が残っていて映っていた。私がこれを見て思うことは、女性が書いた文字であるが、かなり、男性的な雰囲気がする、ということである。

高岳の出自や経歴など、分かってきていることらしい。その他の、老女など大奥の女性たちはどうなのだろうか。

江戸幕府の財政にとって、大奥は非常な負担であったことになる。番組の中で言っていた数字としては、予算の五分の一ぐらいが、大奥に使われていたらしい。ということは、それだけのコストをかけても維持するメリットがあった、と考えてもいいだろう。ただ、将軍の後継を産んでもらうためだけではなかったと考えるのが妥当だろう。大奥が、江戸幕府の政治にどう関係があったのか、これから明らかになっていくことかと思う。

また、大奥の女性……この場合は、正室、側室などということになろうが……の食事。京都の公家の食事の習慣をもちこんでいるので、お米のご飯以外に、お魚などをたくさん食べていたらしい。これは、骨を分析して、炭素と窒素の同位体の割合を調べることで、どんな食べ物を食べていたかが分かる。

大奥の女性たちの生活(衣食住)は、その役職の階層によってもちがっていただろう。したっぱの女性たちは、一般庶民的だったのだろうか、と想像してみることになるが、どうなのだろうか。

大奥につとめる女性たちはいっぱいいたことになるが、そこにつとめたからといって、死ぬまでそこで働いていたということではないだろう。正室や側室などは、死ぬまでということだったと思うが。ここで働いていた女性たちの、老後というか、つとめを終えてからの生活はどんなだっただろうか。それが、江戸の文化や生活に影響を与えることはあったのだろうか。

浮世絵の顔を分析して、美人のスタイルが変わってきた。だんだん、京都風の面長ですらりとした雰囲気が好まれるようになってきた。これは、日文研の研究ということになる。これは、絵画に描かれた、流行としての理想の形が変わってきたということなのか、実際に、人間の骨格が変わってきたということなのか、このあたりは、これからの課題ということになるかもしれない。

江戸時代、京都などの文化が、いろいろと江戸にもたらされていたということは、総合的に考えていえることになる。江戸時代も後期になると、江戸独自の文化がはなひらいたといわれるが……『べらぼう』の時代からである……それと同時に、さまざまなレベルで、上方文化との交流はあったことを、忘れるべきではないだろう。

2025年8月28日記

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