2026年1月17日 當山日出夫
気になる家 下町のコンクリート長屋(東京・清澄白河)
このシリーズも、どうにか続きそうである。どういう気になる家を見つけてくるか、それは難しいことかもしれない。ただ、歴史的な建築というだけではなく、その家に住んできた人の歴史、生活、というものが感じられないといけない。
清澄白河は、名前は知っているのだが、行ったことはない。
コンクリート造りの長屋ということだが、これは、関東大震災からの東京の復興のシンボルでもあったことになる。(こういうものとしての、同潤会アパートもあったと思うが。)
出来た当時の家賃のことが出てきていたが、かなりの高額である。そこに入居できたということは、このエリアが、都電が通っていて人通りが多く、商売が順調だったということなのだろう。(個人的なことになるが、都電というものを、私は実際には知らない。東京での学生生活をおくるようになったころには、姿を消していた。)
出来たときから都市ガスが使えた。関東大震災で火災が発生したのは、ちょうどお昼ご飯の準備をする時間で、各家庭で火をつかっていたから、といわれる。では、その火は、薪だったのか、炭だったのか、ガスだったのか、気になる。都市ガスを供給するためのインフラ工事は、おそらく関東大震災の復興とワンセットだったかと思うのだが、これは、どうだったのだろうか。
上下水道、都市ガス、電気、それから、電話、こういう社会的インフラは、東京の街でどういうぐあいに作られていったのだろうか、その総合的な歴史的な研究(都市としての東京の発展とともに)というのは、どれぐらい分かっているのかと思う。
コンクリートで作るとして、二階にあがる階段まで、コンクリート造りになっているというのは、面白い。階段だけは、木で作るということになっていない。また、地下室があったのだが、どんな意図だったのだろうか。まさか、将来の防空壕を想定したわけではないだろう。(世界には、核戦争にそなえてのシェルター機能を持たせた都市というのは、珍しいことではないはずだが。)
住む人がいなくなって、一部は取り壊されてしまったとはいえ、それでも、景観として、コンクリートの長屋建築であることが分かるだけのものとして、現在に残っているというのは、貴重である。現代としては、こういう建物の貴重さが、価値となって、人を集めることができる。
ちょっと気になったこととしては、最後の方で紹介されていたリフォームした家。二階には、アップライトピアノが置いてあったのだが、どうやって運び入れたのだろうか。狭い階段を運んだのだろうか。こういうのは、ピアノ運送の専門業者の工夫なのだと思う。
昔の写真が映っていて、女性がたすきをかけていて、消火担当、と書いてあった。空襲があったとき、火を消すことが義務であった、逃げてはいけなかった、という時代があったことの名残である。(実際には、東京の大空襲の後では、人びとは逃げるようになったはずである。)
薬局を経営しているおばあさん。店でソロバンを使っていた。今どき、ソロバンを実用的に使うことは、希少なことになっているかとも思うが、こういう年代の人にとっては、これが普通のことなのだろう。
2026年1月14日記
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