2026年8月22日 當山日出夫
決戦!シズガタケ「秀吉VS.勝家 天下人誕生の瞬間」
これは、わりと面白かった。(NHKの『豊臣兄弟!』関係の番組の中でも、よくできた方といっていいだろう。とにかく、秀長をヨイショするだけの番組が多すぎる。)
戦国時代の合戦を、兵站・工兵・インテリジェンス、ということで見ている。武将のひととなりとかは、あまり出てきていない。かなり、軍事的にリアルな観点だったというべきである。
柴田勝家が北陸地方を領有していた。雪国である。雪がふると身動きがとれなくなる。これは、時として有利であるが、不利でもある。この場合は、秀吉との決戦にうってでることをはばむものとして、雪が勝家にとっては不利になったということである。
日本の気象・天候の歴史は、京都あたりに限定してみれば、平安時代ぐらいから、ほぼ一日単位で分かる。たくさんの日記があり、それには、おおむね、その日の天気が書いてある。
(私は、学生のとき、『明月記』『中右記』『小右記』などについて、天気の記述だけを見ていったことがある。その後、この方向で、論文など書くことはなく終わってしまったのだが、古い日記の記述から天気や天候のことが、かなり正確に分かるということは、史料からいえることである。)
北陸地方のことなら、三方五湖の水月湖の年縞の研究からかなりのことが分かるはずである。年単位で、7万年前までさかのぼることができる、世界で唯一の資料である。また、年輪年代学の研究をつかえば、賤ヶ岳の合戦の当時の、天候や降雪量などを、かなり正確に割り出せる可能性がある。この地域の気候について、年輪年代学で考えるということは、そんなに昔にさかのぼるとではないので、技術的には可能だろう。
こういう基本的な、日本の歴史の天候データベースというべきものは、歴史民俗博物館などで作って広く公開してくれるのがいいと思うのだが。
雪かきをする昔のスコップについて、越前の朝倉遺跡から見つかったものがあった。この説明としては、木製で作るから、平らにしか作れない、というべきだっただろう。今の金属製のスコップのように湾曲した面は、木製では無理である。それから、雪国の資料として、『北越雪譜』を映すのは、どうだろうか。
合戦の場所の赤色立体地図を作成して、それをもとに考え、また、現地に行って歩いてみる(ここは、千田嘉博さんだった)……これは、意味のあることである。
柴田勝家も、羽柴秀吉も、本格的な山城を作っていたことが、分かる。
ちょっと気になったこととしては、この時代の山城は、土木としてはどういう技術なのだろうか。土塁が残っているが、それは単に土を盛っただけのものなのだろうか。番組の中で、戦国武将は、河川の堤防工事などで、土木の技術が必要であり、その技術者集団をかかえていた、と言っていた。河川の堤防などは、単に土を盛っただけでは、用をなさない。土の積み重ね方の技術がある。(防災科学技術研究所などで、研究のあるところだと思うが。)
�セ
記事を書く
�セコメントをする