2026年8月23日
『ひまわり』「第九章 ならぬ堪忍するが堪忍?」(8月17日〜8月22日)
この週は、東京でのこと。
南田の家のいろんなことである。のぞみを主人公のドラマなのだが、南田の家族の物語とでもいうべき作り方になっている。出ていった父親の徹、それから、赤松弁護士が、からんでくる。親と子のドラマであると同時に、男と女のドラマになっている。見ていて、なんだかとてももどかしい感じがある。だが、そんなに簡単に自分の本当の気持ちはこうであると自分でも分かるものでもないし、もし、分かったとしても、そんなに気軽に人に言えるものでもない。
いってみれば、人間の複雑さということになる。
あづさについていえば、のぞみの母親であり、�梍Tの(義理の)娘であり、徹の元の妻であり、赤松の思い人でもある。それぞれで、どう思うか、相手との関係性をどうするか、という気配りの中にいることになる。こういう人間の多面性ということを、それほど深刻な描き方ではなく、まあ、人間というのはこういうもんだよなあ、という感じの中で描いてある。それが、15分の中におさまるエンタテイメントになっている。
�梍Tがあづさに赤松さんのところに行ったら、と言って、それで、あづさが実際に行ったのは、徹のところだった。赤松のところには、達也が行った。ちょっとちぐはぐな、こういう登場人物の動きが、ドラマの作り方として、とても上手いと思う。
土曜日の弁護士事務所の場面。赤松が書類の整理をしているところに、あづさがやってきて、手伝う。特に、ことばをかわすこともなく、二人で黙々と手をうごかして、書類の封筒をみて段ボール箱に入れていく。ただ、これだけのことなのだが、一緒になって一つの仕事をするということで、お互いの気持ちを感じるところがある……こういう、人間の気持ちの動きをうまく表現してあると感じる。
2026年8月22日記
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