『遠い太鼓』村上春樹
2019-10-03


2019-10-03 當山日出夫(とうやまひでお)

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村上春樹.『遠い太鼓』(講談社文庫).講談社.1993 (講談社.1990)
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続きである。

やまもも書斎記 2019年9月28日
『その日の後刻に』グレイス・ペイリー/村上春樹(訳)
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やまもも書斎記 2019年9月26日
『村上朝日堂 はいほー!』村上春樹
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村上春樹、ヨーロッパ滞在記、旅行記である。作品でいうと、『ノルウェイの森』から『ダンス・ダンス・ダンス』になる。これらの作品は、著者(村上春樹)のヨーロッパ滞在中に書かれた。

読んで思うことは、次の二点である。

第一には、ヨーロッパの滞在記、旅行記として読んで面白い本でること。

主な滞在先は、ギリシャ、それから、イタリアである。しかし、著名な観光地というべきところには、行っていない。観光地に行くとしても季節外れであったり、そもそも観光地とはいえないような、いわば田舎の街、村に行っている。そこに腰をすえて住まいして、生活し、そして、原稿を書いている。

この滞在記が読んでいて楽しい。ヨーロッパの紀行文は、それこそ山のようにあるにちがいないが、そのなかにあって、ことさらということではないであろうが、著名な観光名所を避けて、ほとんど観光客、それも、日本人が行かないようなところに行っている。そこでの生活、住まいや宿にはじまって、食事のこと、ワインのこと、素朴な人びとのこと、実に読んでいてたのしい。

なるほど、『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』の書かれた背景には、著者(村上春樹)のこのような生活があってのことかと、納得するところがある。

第二には、書いていないことである。

この旅の時は、ちょうど、日本では昭和が終わって平成になったときである。また、世界的に見れば、ベルリンの壁の崩壊の直前の時期でもある。だが、これらの社会情勢、国際情勢についてに、著者(村上春樹)は、基本的に何も語っていない。まるで何もなかったかのごとくである。

これは、おそらく意図的にそう書いているということなのだろう。自分の書いている文章、作品が、世界の歴史の変化の中でどのような意味をもつのか、ある意味で確固たる見通し、位置づけがあってのことにちがいない。日本の社会が、昭和が終わって平成になった、その国民的熱狂、狂騒とでもいうべきものに、まったく無関心でいるというのも、ある意味でいさぎよい。

東西冷戦の終結は、世界史的に大きなできごとであるにちがいない。その前夜にあって、ヨーロッパの人たちが、何を感じて暮らしていたのか、これについても、何もかたっていない。ギリシャやイタリアにおいて、古代からの街の歴史を語ることはあっても、現代史については、ほとんど何も言っていない。これも、それなりに、意図的に書いているのだろう。

以上の二点が、この本を読んで思うことなどである。

村上春樹の作品にどのような政治的意図、背景を読みとるか、それは、読者の自由である。だが、そのとき、その作品……『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』など……が、どのような世界と日本の歴史的、社会的背景のもとに書かれたのか、理解してのうえであるべきだろう。村上春樹と歴史、社会、ということを考えるうえで、きわめて重要な作品であると思う。

次の村上春樹の本は、翻訳の『結婚式のメンバー』の予定。

追記 2019-10-12
この続きは、

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