2024年3月6日 當山日出夫
こころの時代 歎異抄にであう 無宗教からの扉 (5)「不条理を生き抜くために」
良寛については、昔、若いとき、唐木順三を読んで知っているぐらいである。あまり知るところところはない。浄土思想という観点から良寛がどうとらえることができるのか、良寛について考えてみたいと思う。
丹羽文雄の作品は読んだことがあったかどうか、はっきり記憶にない。もう今ではあまり読まれない作家になってしまたかもしれない。検索してみると、いくつかの作品は刊行されているようだ。親鸞について書いていることが分かる。
何よりもこの回で興味深いのは、宗教はアヘンであるということを、認めていることである。少なくとも、そのような一面があることは確かである。だが、それを認めたうえで、社会の変革、不条理の克服のための継続性のために、それを持続させる精神的なささえが必要であるとして、そこに宗教の価値を見出している。
それから、安満稔麿の言うこととしては、死を通過点として浄土がある。浄土教を信じる立場からするとこう言うことになるのだろうが、素朴なアニミズムの立場にとっても、通過点として自然に回帰していくと考えることもできるだろう。どのような立場をとるか違いはあるかもしれないが、死を壁ではなく通過点であるととらえる考え方には首肯するところがある。
来世で救われるのだから、この世における悪を肯定する、やむを得ないものと考える……このように考える傾向について、宗教は何をなすべきなのか。仏教で言う「諸悪莫作、衆善奉行」を具体的に実践するにはどうあるべきか、課題は残ることになる。特に、近現代の価値観の多様化、そして平行してある絶対的なPCの主張、このなかでどう考えるべきかということになる。
このシリーズ、言うまでもないことかもしれないが、宗教は生きている人間のためにある、という基調をつらぬいていることは重要なことである。
2024年2月25日記
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