「太平洋戦争 日米プロパガンダ戦」
2024-08-29


2024年8月29日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 太平洋戦争 日米プロパガンダ戦

「映像の世紀」シリーズは、放送が始まったときから、再放送などをふくめて、ほとんどを見てきていると思うのだが、この回はもっとも面白い回の一つであった。

太平洋戦争中、日本とアメリカ、双方でどのようなプロパガンダが行われてきたか、特に映画とラジオを中心にあつかってある。何よりも関心があったのは、「東京ローズ」である。

太平洋戦争の開戦を告げる大本営発表のシーンは、後からそのために撮影した、いわばヤラセ映像であったはずなのだが、このことには触れていなかった。戦中のニュース映画が、日映に一本化された経緯は、確かに重要だろう。ニュースのメディア史として、ニュース映画が、どのように上映されて、どのような人たちが見ていたのか、たぶん研究はあると思うのだが、興味深いことである。

私が映画を見るようになったのは、高校生ぐらいからであるが、その時代ではもうニュース映画というものは無かった。いつぐらいまで、ニュース映画はあったのだろうか。

どうでもいいことかもしれないが、ニュース映画が始まるとき、最初の画面で「脱帽」とあるのは、今の若い人たちには、何のことだか分からないだろう。日常生活で帽子をかぶらなくなってしまっているので、礼儀としての脱帽の意味も失われていくことになる。

日本放送協会が、取材記者を持っていなかったということは、重要なことかもしれない。今のNHKは、独自の取材をかなり行っていることは確かである(その方針については、いろんな意見があるかもしれないが)、放送局(ラジオ局、テレビ局)が独自に記者をつかって取材するようになったのは、戦後になってからのことだろうと思うが、この経緯も関心のあるところである。

戦前の銀座のカラー映像が貴重である。歌舞伎座の前だろうか。日中戦争が泥沼化していたとは言われているが、街の風景は花やかである。これは、日本にきたアメリカ人のプライベートフィルムだという。

このごろ、過去の白黒映像をカラー化することが流行っている。東京大学の渡邉英徳などがその第一人者として知られる。しかし、私は、このようなことに必ずしも賛成しない。その当時のことを、白黒フィルムで残したか、カラーフィルムで残したか、それ自体が貴重な資料的価値であると思うからである。

戦争の記録映画で、死体を映すかどうか、これは、今の戦争報道においても、問題となっているところである。テレビの画面に戦争の報道、あるいは、昔の記録映像で、死体が映るようになったのは、つい最近のことである。ウクライナでの戦争の報道において、始まったころは死体の映像は、ぼかしていた。しかし、最近になって、はっきり死体を映すようになった。「映像の世紀」シリーズでも、死体の映像のあつかいは、以前はかなり慎重であったと記憶する。

ペリュリュー島は、日米の死闘が繰り広げられた島であるが、アメリカ兵の死体が海岸にたくさんよこたわって波にあらわれている様子は、まさに戦場の記録である。

興味深かったのは、戦後になってからのニュース映画。ざっくばらんに言って、あれはウソでした、というものである。まあ、確かにメディアとは、常に体制よりであり、日和見的なところがあるとは思っているのだけれども、こうあからさまにGHQの言いなりになって、昔は悪うございましたというのも、なんだか拍子抜けするぐらいである。このような映画が残っているなら、これも貴重な資料であるし、特別に番組を作って紹介してもいいかと思う。


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[テレビ]

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