「散華の世代からの問い 〜元学徒兵吉田満の生と死〜」
2025-01-05


2025年1月5日 當山日出夫

NHK特集 散華の世代からの問い 〜元学徒兵吉田満の生と死〜

お正月になって、いつものように(特に普通の日とかわることなく起きて)、テレビをつけて前日までに録画してあるものを見る。大晦日は特にこれといって録画しておきたいようなものはなかった。『七人の侍』の放送があったが、これは以前に放送したものの録画が、まだHDに残っているの録画しなかった。以前に録画したものを見ていって、吉田満の名前を見つけて、これを見ることにした。

去年(二〇二四)の八月一四日の放送である。元は、一九八〇年のNHK特集。

『戦艦大和ノ最期』を読んだのは、東京で大学生のときだった。そのころ、角川文庫本で読めた。そして、今ではもうなくなってしまった北洋社という出版社から、オリジナルを復元したということで、『戦艦大和ノ最期』が刊行されたので買った。そのころ、目黒の下宿にいた。読み終えて、夕食でも食べようかと、外に出て目黒の権之助坂を登っていった途中、目黒川のところで、ふと空を見ると夕焼けだった。それまでにも、それからも、いろんな夕焼けを見てきているが、私の人生のなかで、もっとも印象に残っているのは、この時の目黒川の夕焼けの空である。

その後、吉田満の訃報を知ったとき、これで一つの時代が終わったのか、と感慨深く思ったことを記憶している。

書店で、吉田満に関係する本があると、その都度、買ってきた。

現代の視点から考えるならば、吉田満の世代、特に学徒兵の世代には、なぜこの戦争を戦い、自分たちが死んでいかなければならないのか、必死になって問いかけていたことが理解される。それを、あえて解釈するならば、時代のなかで自己のおかれた状況を可能な限り分析して正当化したい、という気持ちの表れだったのかと、思うことになる。(かなり冷淡な見方であるかもしれないが。)

また、今日では、吉田満のような学徒兵の意識、それは、強いていえば一種のエリート意識であるのだが、これとは別に、多くの兵士たちのことを考えるようになってきていることもある。太平洋戦争、大東亜戦争における、日本兵の死者のほとんどは、戦病死、もっと直接的には餓死であったことは、言われていることである。そのような兵士たちの思いと、大学生であったエリートの思いとは、自ずから異なっているだろう。だからといって、学徒兵の考えたことを否定するということではない。戦争に対する思いは、それぞれのおかれた境遇や生いたちによって、異なるという、当たり前のことを確認することになる。

吉田満は、高度経済成長をはたした日本の姿を、戦後の復興として肯定してはいない。むしろ、日本人全体がわけもわからずにがむしゃらに突き進んだ結果として、そうなったと、否定的に見ている。そこに、新しい日本のあるべき計画、ビジョンがあってのことではなかった。これは、日銀に勤めていた、まさに戦後の日本の復興の中心をになった組織にいたからこその、感慨であるにちがいない。

吉田満が亡くなってからさらに、半世紀近くがたとうとしている。その後、世界は冷戦が終焉し、日本ではバブル経済とその崩壊があり、失われた三〇年という時代の果てにいる。かつてのような、帝国主義的な政策で、国がなんとかなるという時代ではない。だが、しかし、日本の近隣諸国をふくめ、国際情勢は、そう楽観視できる状況ではなくなってきていることは確かである。

時代における国家や社会の意志決定、時代の大きな流れ、そのなかで、個々の人間がどう判断してどう生きることになるのか、これは、かつて吉田満が考えたことになるだろう。吉田満をはじめ多くの学徒兵が、その状況のなかで考えて、後世に残した問いに対して考え続けていかなければならない。

番組のなかに、林尹夫が出てきていた。『わがいのち月明に燃ゆ』は読んだ本である。まだ、どこかにしまってあるはずである。見てみると、今では、その完全版が刊行になっている。


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