2018-12-27 當山日出夫(とうやまひでお)
ドストエフスキー.亀山郁夫(訳).『白痴』(4)(光文社古典新訳文庫).2018
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続きである。
やまもも書斎記 2018年12月25日
『白痴』(3)光文社古典新訳文庫
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光文社古典新訳文庫版の『白痴』は、原作の構成にしたがって四冊につくってある。この四巻、ほとんど一気に読んでしまった。読み返すのは、一〜二年ぶりぐらいになるだろうか。たしか、この前は、新潮文庫版で読んだように憶えている。(まだ、その時、この光文社古典新訳文庫版は完結していなかった。)
新しい訳で読んでみて、『白痴』というのは、こんなにもドラマチックな小説であったのかと、改めておどろいた。途中、少し、読むのに難渋するところがないではない。特に、波瀾万丈の事件が起こるということもない。だが、そこには、複雑で深淵な人間ドラマがある。この人間ドラマを読み取れるようになったというのが、今回の新しい訳で読み返した収穫と言っていいだろう。
だが、そのような人間ドラマがあることは理解できるのだが、そのせいもあって、より一層、この作品の謎がふかまったという印象もある。はっきり言って、この作品が、いったい何を語ろうとしている作品なのか、さらに分からなくなったというのが正直なところ。
ここは、ドストエフスキーの作品を一通り読み返してみてから、再度、この『白痴』にたちかえって、読み直してみたい気がしている。
そうはいっても、今回読み返してみても印象的なのは、やはり、最後のシーン。ナスターシヤの死体を前にしての、ムイシキン公爵とロゴージンの二人。おそらく、世界の文学の中でも、このシーンは、もっとも印象に残るひとつではないだろうか。
訳者(亀山郁夫)の「読書ガイド」を読んでも、今ひとつ理解ができないところがある。それほど、この『白痴』は謎に満ちた、しかし、魅力的な作品と言っていいだろう。ロシアにおけるキリスト教、それから、ドストエフスキーにおけるキリスト教というものへの理解が、不可欠であることは理解される。
だが、そのような知識がなくても、十分にこの作品は魅力的である。(といって、知らなくていいというのではないが。)
『白痴』の次に読みかけているのは、『罪と罰』。これも、読み返すのは、何度目になるだろうか。今年のうちには、読んでしまえると思っている。
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