『虎に翼』「女三人あれば身代が潰れる?」
2024-09-15


どのようなことについても声をあげるべきだと、このドラマは主張したいようなのであるが、優未については、声をあげずに諦めろと言っていることになる。どうもこのあたり、ドラマで主張したいことと、寅子の言ったことが矛盾しているように思えてならない。そして、ここでは、寅子の言っていることが、これまでとブレていることになる。ただ、「地獄」ということばをふくんだ科白を言わせたかっただけのことに思える。

あいかわらず、このドラマは、時代の背景、世相を描かない。この週になって、突然、七〇年安保闘争、学生運動が出てきたり、公害問題が出てきたりしているが、これらは、当時の映像記録を見せただけで終わっていた。七〇年安保闘争にいたるまでの歴史的経緯、時代の変化……高度経済成長、大学進学率の増加、都市への人口移動、生活のスタイルの変化、それにともなう各種の社会の矛盾、ということにほとんど触れない。せいぜい、リビングにテレビがあるのと、電気炊飯器が出てきていたぐらいである。

当時の若者の意識がどうであったか、例えば、お茶の水あたりのジャズ喫茶や名曲喫茶(昔はこういうのがあったのである)で、薫か、あるいは優未が、友達と政治の話しをしていて、持っているカバンのなかには、『第二の性』とか『共同幻想論』があってもいい時代である。この時代、新潮文庫版の『第二の性』が刊行されているはずである。安田講堂の攻防戦の映像を使うよりも、学生の裁判の様子を描くよりも、よっぽどこの方が説得力がある。ただし、番組の制作コストは、少しかかるかもしれないが。

思想にも歴史がある、フェミニズムにも歴史がある、ということのためには、この時代、ひろく読まれた、しかし、今ではあまり読まれなくなった、『第二の性』を登場させておくべきかと、私は思う。

もし、笹寿司の店舗があったなら、その大将と常連客とのやりとりのなかで、その時代の世相を語らせることもできただろうと思うのだが、そうはなっていない。たとえば……このごろ女性のスカートが短くなってとか、俺の息子が大学生なんだけど……というような会話でもいい(ミニスカートの流行も女性の歴史の一コマである)。市民の視点から見た司法、という観点からも、このような設定にしておくべきだったと思えてならない。裁判の傍聴が趣味というまたとない人物でありながら、無駄に消えてしまっていた。

薫や崔香淑/汐見香子のことについても、描き方が粗雑だと感じる。日本にいる朝鮮人、その子どものことについて描くならば、日韓基本条約のことが重要な意味があるはずだが、まったく出てこない。このドラマでは、朝鮮戦争のことを無視してきたのから、いたしかたないかもしれないが。

どうでもいいことかもしれないが、崔香淑/汐見香子が、座り方を朝鮮式に改める場面があった。朝鮮人なのだから、その風習にならったということなのだろうが、しかし、これは、朝鮮の社会や文化のなかにある、男女の違いの明示化でもある。日本人の男女差は非難するが、朝鮮の男女差は歓迎する、ではちょっとおかしい。筋がとおっていない。

少年法の改正問題についても、よく分からない描き方であった。そもそも、戦後になって家庭裁判所が出来るとき、多岐川が登場して、寅子が手伝うということはあった。そのとき、多岐川が、家庭裁判所の理念を語っていたのは印象的である。水行のシーンだった。(このシーンは、今日の価値観では、完全にセクハラとしてアウトである。)だが、具体的に、それまでの少年犯罪がどうあつかわれ、戦後の家庭裁判所でどう変化したのか、そこのところがほとんど描かれてきていない。なのに、ここにきて、急に少年法の改正が問題になって、という展開になっても、意味がわからない。


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